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ふがいない僕の社会距離日記

虚無の散歩

散歩が好きだ。なにもない休みの日はたいがい近所に散歩に出る。大体の散歩に目的はなく、歩いたことのない場所をただ歩く。とりわけよく歩いていたのは就活がうまくいかなかった大学4年生のときと、新卒で入社した会社を半年で退職し無職になったときだ。辛い気持ちになると、なぜか長距離を歩きたくなる。新卒で入社した会社に仕事を辞める旨を伝えた日は職場の神保町から自宅の幡ヶ谷まで歩いて帰ったし、現在の仕事も辛いことがあった日は22時に職場を出て4時間以上かけて自宅まで歩いた。品川、日比谷、大手町、秋葉原、上野と真夜中の東京を横断して歩くうちに仕事の嫌なことや辛いことはいつの間にかどこかへ消え、見たことのない場所や深夜の工事現場とそこを照らす強すぎるライトの中で働く人たちに夢中になっていた。そんな様々な散歩歴の中でもとりわけ思い出深いものがある。

今から4年前の2018年のことだ。当時、無職だった自分はやることもないので散歩に出かけた。フィルムカメラを持って。それまでは写ルンですを常備していたのだが、一丁前にフィルムに手を出したのだ。街中でカメラを持ってそれっぽい風景を撮るそれっぽい人を見かけると「うわー」と思ってしまう自分がいたのだがもうそういうのは辞めた。いや、辞めはしないけれどとりあえず息を潜めてもらうことにした。

その日は、目的の場所があった。本郷三丁目だ。電車で本郷三丁目まで行き、その周辺を散歩した。行きの電車は平日の昼間ということもあって空いていた。電車を乗り換えるたびに、赤ちゃんを抱えた女性を見かけ、普段朝や夜に電車に乗ることが多いので新鮮で、そりゃ人が少ないこの時間に行動するよなあと当たり前のことを思ったのを憶えている。お母さんに抱えられた赤ちゃんは終始キョロキョロしていて、母親はそんな赤ちゃんを微笑みながら見つめていた。最終的に赤ちゃんの視線は、となりに座る女子高生の単語帳に集中された。赤ちゃん特有のふわふわとした髪の毛が電車内の暖房の風に揺れ、母親の鼻先に触れていた。母親は目をつぶってその髪の揺れを感じていた。その隣では、老眼なのか眼鏡を額に上げてスマホをいじる初老のサラリーマンがいて、またその隣には、紫色のスカートを履いた海外の女性がいた。なにも特別なことがない車内だった。ただ、赤ちゃんの髪の毛が風で揺れるだけの車内。その、何でもなさが今でも記憶にある。

本郷三丁目周辺に行こうと思ったのは、理由がある。初めての会社員時代に、辛すぎて職場の神保町からそこまで逃走したことがあったからだ。逃走と言っても、仕事で使った大量のバスタオルをコインランドリーに持っていくという用事があったわけだが。今思うと大量にバスタオル使う仕事ってなんなんだ。とにかく、大量のバスタオルを抱えながら本郷三丁目にあるコインランドリーまで歩いたのだ。会社の同じ部署の先輩や上司はいつも午後にならないと出勤しないので午前中にコインランドリーに行った。束の間の一人時間を過ごしているときに限って上司が早く出勤したらしく、「お前はなんで会社にいないんだ」と電話で怒られた。そんな思い出がある本郷三丁目は、一目見て散歩しがいのある場所だと思い、今度必ず来ようと決めていたのだ。それから半年経って、やっと訪れた。

坂の多い本郷三丁目周辺は、やはり散歩しがいがあり、慣れないフィルムカメラで何枚も写真を撮った。路地、坂道、階段、その全てが魅力的だった。そこから後楽園、御茶ノ水まで歩き、橋の上から夕方の駅などを撮った。どれも肉眼で見たときに、美しいなあと思った風景だ。フィルムが無くなったので御茶ノ水から電車に乗り、新宿のカメラ屋で現像に出した。1時間の待ち時間を本屋などに行き時間を潰した。初めてのフィルムカメラで、どんな写真が撮れているのかわくわくしながらカメラ屋に戻ると、「全ての写真が未露出でした」と言われた。カメラへのフィルムの装填ミスで1枚も写真が撮れていなかったのだ。現像代の700円だけ払い、なにも得ないまま肩を落とした。それから寒空の下、レンタサイクルで帰宅した。

振り返るとその日は、なにも写ることのない写真をひたすら撮り続けていたのだ。しかもカメラを持つことに恥ずかしさがあったため、キョロキョロと周りを見渡して人目がないときを見計らってシャッターを切っていた。あの行動は一体なんだったのか。当時のフィルムカメラデビュー日の自分としては、現物としての写真が手元に欲しかったので、虚無の散歩に本当に嫌気が差していた。しかし、今になって思い返してみると本郷三丁目へまで向かう電車内での光景も、あの路地や階段や坂道も鮮明に憶えている。それは、この散歩がフィルム装填ミスによって招かれた虚無の散歩になったからに違いない。

散歩が好きだ。歩きながら心動かされるものに出会うたびに散歩以上の娯楽はこの世の中にないのではないかとさえ思う。虚無の散歩は写真が撮れていないという大きな出来事があったが、大体の散歩では何も起こらない。しかし、なんてことない路地やそこに置かれた植木鉢に心が動かされるときがある。そこには生活の断片が散らばっているような気がするのだ。そんな光景になぜだか救われる。だから僕はこれからもきっと散歩を続けていくのだろう。ちなみに、本郷三丁目へはその数週間後に再び訪れ存分に写真を撮った。今度は無事、現像されていた。

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1994年生まれ。はてなブログにて日記を書き、本にしている。趣味は散歩。

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1994年長崎県生まれ。本を作るレーベル bundleを立ち上げ、編集をおこなっている。その傍ら私情的エッセイと詩の狭間で言葉を使った表現をおこない、2020年には初の詩集「いっさいすべての春」を刊行した。

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