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ふがいない僕の社会距離日記

飲み会こわい

毎年タイミングを見失い、気温に適した服を選べないという、都内で会社員をしているミワさん。そんな彼の持つ過度な自意識と世の中のズレに対してどのように折り合いをつけるか思案するエッセイ。第二回目はミワさんが最も恐れている行事、飲み会についてです。

飲み会がこわい。いわゆる飲み会というものに初めて参加したのは大学のサークルでの新歓だ。居酒屋の座敷の長い机にずらっと人が座り、周りの人の声に負けまいと誰もが大きな声で話し、誰かのグラスが空いたものなら女性の先輩がどこからともなくメニューを取り出しなにか頼むかと聞いている。時折、ドッと笑い声が起きそちらを見ると同じ新入生が先輩と肩を組んで盛り上がっている。トイレに行きたいがどのタイミングで立ち上がっていいのかも分からず、尿意があるのに目の前の飲み物を飲み続ける。我慢の限界がきてトイレに立ち、戻ると自分がいた場所には誰かが座っている。常に人が入れ替わりうごめく飲み会の渦から弾き飛ばされたような感覚になった。

そもそも、僕はお酒が飲めない。グラスの半分も飲んでいないのに顔は真っ赤になり、頭痛、動悸、腹痛、眠気に襲われる。まったくもって体がアルコールを受け付けないのだ。だから酔うという感覚が分からない。酔って楽しそうにしている人たちを見るとどこか羨ましい気持ちになり、お酒さえ飲めればあの輪の中に入ることができたのだろうかと何度も思った。しかし、お酒が飲めないが楽しそうに輪に溶け込んでいる人を何度も見てきた。だから飲めたとていつの間にか周りから人がいなくなり孤立している状況に変わりはない。結局のところお酒は関係なく、飲み会という場での振る舞い方がわかっていないのだ。

社会人になってからも飲み会はこわい。初めて入社した会社の歓迎会での出来事だ。彼女はいるのか、風俗へは行くのか、この部署の女性のことは可愛いと思うかなど会って間もない人たちにこのような発言をぶつけられた。ただただ苦笑いするしかできなかった。飲み会だからという理由だけでずかずかと人のパーソナルな部分に踏み込む大人たちにこれはセクハラだと言ってやりたかった。

転職した会社の飲み会でも嫌なことはあった。筋肉が自慢の人を煽り、服を脱がせポーズを決めさせて撮影会が始まったと思ったら、髭を生やしたガタイのいい人と腕を組ませカップルみたいだとか、カミングアウトしちゃいなよとか、今はそういうのもありな時代だよとか爆笑しているのだ。ここは地獄かと思った。爆笑している人たちの軽薄な理解と歩み寄りに怖くなった。彼ら彼女たちは普段は優しいし「良い人」だ。けれども良い人が差別や偏見を持たないなんてことはないし、あの場で表出したそのような発言がお酒のせいなのだとしたらやはり僕は飲み会が怖い。

もちろん、楽しい飲み会もある。気心知れた昔からの友人たちや信頼できる人たちとは自分だけお酒を飲んでいなくてもその場にいるだけだけで楽しい。飲み会での振る舞い方などは考えずただ自分のままでいることができる。お酒を注いであげることも常にグラスの中身を気にすることもなく各々のペースで飲み食いをすることがいかに健全か。目の前の食べ物を美味しいと言いながらその瞬間を共有することがいかに幸せか。そういったことが社会の飲み会という場では蔑ろにされ、ホモソーシャルな雰囲気に乗れなかったものはコミュニティから弾かれる。

幸いにも、ここ数年のコロナという状況下の中で飲み会はまったくといっていいほどに無くなり心の平穏が保たれている。あまり大きな声で言えないが、飲み会文化の衰退はコロナがもたらした唯一の良いことだ。面白い話をすることも、誰かを気持ちよくさせることも、過度に気を遣うことも僕にはできない。正直なところ、そこに順応しなければという焦りと、無駄に傷つく必要はないのだという気持ちが混ざり合ったまま今も社会人を続けている。いつか後者の気持ちを常に優先できるようになりたい。誰かに流されることなく飲み会をしたい相手ぐらい自分で選ぶのだ。

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1994年生まれ。はてなブログにて日記を書き、本にしている。趣味は散歩。

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1994年長崎県生まれ。本を作るレーベル bundleを立ち上げ、編集をおこなっている。その傍ら私情的エッセイと詩の狭間で言葉を使った表現をおこない、2020年には初の詩集「いっさいすべての春」を刊行した。

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